警察官がタクシーを止めてくれ、状況をタクシー運転手に話して目的地まで伝えてくれた。最初に立ち止まってくれた男女にも、警察官にもその場でお礼を言うしかなかったのが申し訳ない。
 けがのせいで心拍数が上がっている感じがあり、タクシーの振動で気持ちが悪くなったが、なんとか目的の私立病院に着いた。

 血のついたティッシュで顎を押さえながら病院に入ってきた東アジア人を見て、入り口に待機してくれていた女性の日本人通訳さんがすぐ駆け寄ってくれた。「大丈夫ですか?」という日本語にはほっとした。
 通訳さんは、すぐ私を先導して救急センターに入り、受診したい旨を伝えて問診票を受け取ってくれた。問診票の英語は訳していただかなくても大丈夫だったが、書く内容を相談したりできて、やはり一人より安心だった。


 事故の場所が英語圏で、自分も日常会話レベルの英語はできる状態のため、日系病院や日本語通訳に必ずしもこだわる必要があったとは思わない。医師と患者の非対称の関係の中での会話なので、医者も難しい単語は使わないし、何よりイギリスの医者は言語が流暢でない患者に慣れている。
 でも、通訳がつけられるならばそのほうがいいと今でも思う。まず、動転しているときには母国語でも聞き間違いや記憶違いが起きやすい上に、英語を聞き間違う・言い間違うという恐れがある。事の性質上、病名や臓器名など、知らないとアウトという単語はある。それに、実際に通訳さんにしていただいたのは、会話の翻訳・媒介だけではなかった。
 言語ができず、その国の病院のしくみもよくわかっておらず、けがや病気で動転しているというような患者を前にして、文字通り対話を訳しているだけでは話が進まない。もしかすると通訳の業務内容を逸脱してしまうのかもしれないが、文化や制度のわからぬ患者をその文化や制度に媒介するほうが効率的だろう。
 何せ初体験なのだから、「え?イギリスの病院ってそういうしくみなの!?」という場面がどんどん出てくる。そこで、どういう意味なのか?そもそもどういうしくみなのか?を、本人が「?」となるポイントを理解した日本人通訳さんが説明してくれることはかなりありがたかった。
 それ以外にも、問診票を書きながら状況を説明しておいたら、通訳さんが代わりに医師に説明してくれる場面もあった。顎がおかしい中でこの表現で伝わるのかと思いながら会話するより、通訳さんが代わってくださる方がありがたかった。
 もちろん、旅行者などの本当に英語が何も聞き取れない日本人患者さんが運ばれて来ることもやはりあるそうだ。その場合は、通訳さんは本当にありがたいだろうが、同時に、通訳がついていても不安だろうと思う。


 なお、通訳さんによれば、その病院には数名の日本人通訳がローテーションで常駐しているということだった。ロンドン北側の日本人が多く住む地区で、中に日系病院を間借りさせているような場所だからだとは思ったが、通訳が病院負担で常駐しているということに驚いた(1)。
 残念だったのは、他の言語の通訳も用意されているのかを聞きそびれたことだった。他の患者を診ると、多様な人種がいたが、総じて裕福そうな印象を受けた。この病院に来られるのは、高い診察費を払えるか、それをカバーする民間保険に入っている人たちなのだから、当たり前だろう。だが、病院のホームページをどう探しても、通訳が常駐しているという情報はなかった。そこはセールスポイントではないのだろうか?

(1)

 日系病院が入っている病院ということで、在ロンドン日本人はすぐわかると思います。アビーロードの近くのあそこです。あとで調べたところ、日本人通訳が常駐している病院として外務省のページに唯一名前があがっていたのが、その病院でした(在外公館医務官情報 英国(2015年4月1日)、2016年5月20日閲覧)。


f1-4-1 プライベート病院
(あそこ)