さて、そこから苦痛のロンドン横断が始まるのだが、ここで、イギリスの医療制度について確認したい。どのような組織や財政となっているかといった細かい話は、日本語の概説書・ホームページもあるので、それらを参照してほしい(1)。ここでは、私から見えていたイギリスの医療制度を、間違いや勘違いもがありえることを承知で、ひとまず書き留めておきたい。


 渡英するにあたり私がNHS(National Health Service、国民保健サービス)について知っていたのは、「ゆりかごから墓場まで」というスローガンと、医療は原則無料であるということ、それが戦後福祉国家の代名詞のような制度であるということ。そして、英国在住経験がある人には、「NHS意外と使える」という人と「NHSは使ったことがない」という人がいること。その程度だった(2)。

 第2次世界大戦中に、ベヴァリッジ報告書が出され、社会保障制度の整備の必要性が広く認識されるようになった。戦後(3)の選挙で労働党アトリー内閣が成立。その目玉の一つが、「公平で無料の医療制度」だった(4)。
 財源は原則として税。イングランドの居住権を持つ人は、国籍に関わらず原則として無料で医療サービスにアクセスができる、ということになっている。しかし、理想は理想。「ゆりかごから墓場まで何もしてくれない」「ポストコード・ロッタリー(郵便番号宝くじ)」といった言い回しを何人もの人が教えてくれた。
 診察・治療までの週・月・年単位の長い待ち時間、つまり「誰もが平等に医療にアクセスできない」問題は、常に言われてきた。市場競争原理が働かないことによるサービスの質の低下や地域格差、慢性的な予算不足なども繰り返し問題となっている。

 と、このような知識で、渡英する段階で、「イギリスに住むならば、平等な福祉、平等な医療がどういうものか、ちょっと見てみようじゃないか」くらいの気持ちは無きにしも非ずという感じだった。



(1)

 とりあえず、泥棒が去った後で縄をぬう状態で勉強してみようかなあと日本語で参考にしたのは以下です。(すみません、本業ではないので、英語を熱心に読む余裕は…。)
財務省総合政策研究所「医療制度の国際比較」(平成22年)
森宏一郎2007「イギリスの医療制度(NHS)改革:サッチャー政権からブレア政権および現在」『日医総研ワーキングペーパー』No.140
・猪飼周平2010『病院の世紀の理論』有斐閣
・柏木恵2014『英国の国営医療改革:ブレア=ブラウン政権の福祉国家再編政策』日本評論社
・松本勝明編著2015『医療制度改革:ドイツ・フランス・イギリスの比較分析と日本への示唆』旬報社
・堀真奈美2016『政府はどこまで医療に介入すべきか:イギリス医療・介護政策と公私ミックスの展望』ミネルヴァ書房


(2)

 2012年のロンドンオリンピックのときに、ダニー・ボイル演出の開会式でNHSをたたえるシーンがあったことに驚いたりもしました。そこでは、NHS病院となったイギリス最古の小児病院Great Ormond Street Hospitalのシーンから、英国児童文学の世界が展開されるという流れになっていました。
 まったくの余談ですが、ピーターパンの著作権を著者ジェームズ・バリーがGOSHに寄付したのは知る人ぞ知る話なのですが、バリーがピーターパンを構想したというBrunswich Squareの向かいにはFoundling Museumという棄児養育院博物館が建っています。そこを見て、チャールズ・ディケンズが『オリバー・ツイスト』を構想したとか。すべて文教地区ラッセルスクエアのあたりにあります。このような弱者寄りの視線の先に、NHSがあったということなのかもしれません。


f2-2-1 GOSH入口f2-2-2 GOSHピーターパン像

(頭文字をとってGOSHと呼ばれるGreat Ormond Street Hospital)



(3)

 正確には1945年5月にドイツが降伏してから8月に日本が降伏するまでの間の、7月5日投票、26日に開票が行われました。事故の話と関係ありませんが、英国滞在中、5月8日のVE day(ヨーロッパ戦勝記念日)70周年のお祭り騒ぎに勝った国は違うなあと思わされました。そのときはチャーチルが高らかに勝利を宣言した映像が何度も流されていたのですが、8月15日のVJ day(対日戦勝記念日)では、アトリーがしめやかに勝利を宣言する映像でした。この日はシンガポール陥落で捕虜になって、VE dayのあとまで辛酸をなめた人たちがいたことを忘れるなというノリでした。イギリスにとっての戦争は、ほぼ5月で終わっていたのですねえ。

(4)

 1946年National Health Service Actに基づき、1948年にイングランドのNHS制度が発足しています。(1)の文献等によれば、公平・無料というのはなかなか難しく、1951年には歯科治療や視力検査などに自己負担制度が導入。それでもうまく回らず、治療までの待機時間やサービスの低下が騒がれるようになったとのこと。サッチャーからメージャーの保守党政権で、直営からトラスト運営方式にするなど財政面へのテコ入れが行われて疑似市場化が図られたものの、医療サービスはさらに悪化。ブレアからブラウンの労働党政権下では、予算の拡大と供給サイドへのテコ入れがなされ、2010年以降の保守党キャメロン政権では組織体制と法制面の整備を行ったとのことです。
 なお、私が知っているのも勉強したのもすべてイングランドの話です。ウェールズはほぼイングランドと同じ制度ですが、スコットランドや北アイルランドや諸島は、似ているけれどちょっと違う制度になっているそうです。