話を当日に戻そう。主観的にはだいぶ待たされて、ようやくキャブが来た。そして、それがどこかもわからぬまま「ロイヤル・ロンドン・ホスピタル」に向かった。とりあえず、北側の動脈ユーストンロードを駆け抜け、再開発でおしゃれになったショーディッチあたりに入っていったところまではわかった。
少々道が混んでいて、ブレーキを踏み踏み進むのがたいそうつらい。そもそもロンドンは日本と比べると電車も車も運転が荒い。道も細かい。すぐ車に酔うわけではないが酔わないわけでもないというくらいの私は、日本にいたときより間違いなく頻繁に車酔いした。
そんなわけで、このときは骨折のせいか車酔いなのかよくわからないが(たぶん合わせ技)、とにかく気持ちが悪く、早く着いてくれとシートの背もたれに寄りかかっていた。
ところが、ショーディッチから先、金融の中心バンクを横目にイーストロンドンを進むにつれて、好奇心が勝って、むくりと起きて窓の外を食い入るように見つめるようになる。
恥ずかしながら、行こう行こうと思いつつ、それまでイーストロンドンにはあまり行っていなかった。リバプール・ストリートからショーディッチ方面と、ベスナル・グリーンのあたりだけ博物館目的で行ったことがあるが、エスニックマイノリティの割合がぐっと上がる。
そのさらにすごい世界に突入したのだ。ベトナム?中国?タイ?という屋台、何語かわからない看板。ムスリムのスカーフや、シク教徒のターバン、ユダヤ教徒の黒い帽子――。
これは・・・どこだ?
あとから考えれば、ショーディッチから、エスニックタウンとして観光地にもなっているブリック・レーンと併走するあたりを南下していったのだと思う。
イーストロンドンは、港が近いので、移民と港湾労働者の街だった。昔はアイルランド人やポーランド人、ユダヤ人などが主要構成要素。その後、非白人が増えた。ユダヤ人が徐々に北側(ゴルダースグリーンなど)に移っていったように、豊かになったら北に行く。サウスロンドン(テムズ川の南側)はまた一味違うロンドンが開けているが、東といえば、貧困・治安問題と背中合わせのところだった。
社会調査法の入門で絶対に出てくるチャールズ・ブースの貧困地図の対象が、このイーストロンドンだ。ミレニアムで港が再開発され、新都心カナリーワーフができたり、だいぶ様子が変わってきていると聞いていたが、白人はどこ?という世界が目の前に広がった。
ロンドンといえば紅茶にバッキンガム宮殿♪というようなごく普通の日本人観光客は行かないロンドンに、「社会調査の聖地」に、患者として運ばれていく羽目になった(1)。
(Google mapによると走行経路はこんな感じ。横道を通ったところもあると思いますが、だいたいこんな感じだったんじゃないかなと。Brick Laneは最後に南下しているところのちょっと右側です。)
(エスニックな店で有名なブリックレーン。行った日と時間が悪いのですが・・・。)
(1)
この一件で死ぬほどお世話になった友人は、「ホワイトチャペルの病院に行った」と研究者でない日本人駐在家族たちに言ったら、「だいじょうぶ?危なくなかった?」といった反応をされたそうです。日本人は、経済移民として貧困地区から住むということはしません。駐在の人の多くはノーザンライン沿いの北または西のアクトン方面に落下傘式に住むのです。よって、一般的な在ロンドン日本人にとって、東とはそういう反応をするような場所なのです。(現地の方と結婚した日本人女性などは、テムズ川の南のやや雑多な地域にも多いそうです。)[2016年9月21日追記]
長くお住まいの方々によれば、ブリックレーンのあたりはこの5年、10年で一気に「浄化」されたらしいです。昔はもっとエスニックな屋台が並ぶような場所だったとか。今は、北側は特にオールド・トゥルーマン醸造所跡がおしゃれセレクトショップ&アートスペースになるなど、おしゃれな感じになりつつあります。