口腔外科には、若い女性医師と、さらに若い黒人男性医師がいた。通訳さんも聞き逃したというが、友人はresident(研修医)と名乗ったと言う。ただ、イギリス英語ではresidentとは言わないはずなので、そのときはよくわからず、若さからして、当時NHS改革に対するストライキが騒がれていたジュニアドクターだろうと思った(1)。

 まず、女性医師が紹介状に目を通し、男性医師に指示を出す。彼が触りますといって、顎と歯の様子を観察してくれた。女性医師は、上下の顎全体が横に写るパノラマ式のレントゲンを撮るように指示を出した。
 そう、プライベート病院にあったのは、歯医者独特の顔をとるためのレントゲンでも、口腔パノラマ用のレントゲンではなく、ただのレントゲンだけだった。「今からひどいことをするけどごめんね」と言われながら、つらい角度になって撮られ、それに数万払ったのだ。何たる非効率。
 しかし、仕方ないのでレントゲン室に行き、今度もまた、いかにもレントゲン技師風のレントゲン技師のもとでレントゲンを撮られると、通訳さんと友人と私の3人もいたのに、戻る道がわからなくなった。日本の病院でよく見る、診療科への道筋を示す床の線って便利だなと思いながら、近くのナース(男性)に聞いて戻った。

 レントゲンを眺めて、女性医師は、顎先のほかに、最初、右が折れているわねえ…と口走ったが、しばらくして左も折れていると言った。結局、プライベート病院は左右間違えたのか、右に気づかなかったのかは謎のままとなった。プライベート病院での数時間はなんだったのだろうか…とは考えないことにするしかなかった。
 顎が激痛ではなかったこともあり、そもそも私が一番心配していたのは、顎ではなく、歯の根が折れていないかどうかだったが、ざっと見たところ根は折れていないということだった。それが一番ほっとした。骨折は治る(と思った、そのときは)けれど、歯の根は折れたら抜歯だから。しかし、主観としては、口の中は全然自分のものではなく、歯がどうなってしまったのか謎だった。


 ところで、自分の症状とは別に、ずっと疑問に思っていたことがあった。紹介状には「先ほどの連絡の際、ミセスSが待っていてくれていると確約されています」と書いてあったのだ。
 ミセス!
 医者の紹介状にこれほどふさわしくない気がする敬称があろうか。だから、事務方の誰かと連絡済みということなのかと思った。
 しかし、その人と会う気配もなく、今若い女性医師ととても若い男性医師に診てもらっている。そのミセスには、会わないのだろうか。


f3-5-1 紹介状の件の箇所
(Mrs Sって書いてあるのです…。)

 

(1)

 よく「研修医」と訳されますが、見習いという意味合いが強い日本とはずいぶん違い、大学を卒業してから10年目までが「ジュニアドクター」です。
 まさにこの時期、政府が提示した新しい契約内容案に対して、ジュニアドクターたちがストライキを起こそうとしているというのが大ニュースでした。当初、2015年12月中に3回予定されて、回避は無理と言われていましたが、11月末に撤回されました。しかし、その時点で延期できる手術は延期されてしまっていたとのこと。そして、2016年1月12日には、全イングランドのジュニアドクター約5万5千人による24時間ストが40年ぶりに実施され、大きく報道されました。
 NHSのサービス向上の一環として病院の診療時間を拡大する目的での労働契約改訂が、実質的に労働時間の延長や賃下げになるというのが原因だったそうです。年配の医師たちも支援して、なるべく緊急手術等を滞らせないようにしたとか。
 個人的には、労働強化は問題だと思いますが、A&Eにあふれていた人の数、設定された達成目標を見ると、病院へのアクセスをよくする改革は必要不可欠に思えます。医師の供給構造等と連動した難しい問題です。

 なお、研修中の医師をregistrarと呼ぶそうなので、彼はそう言ったのかもしれないなと思っています。2005年以降は、専門研修医はspecialist traineeというそうですが、一般的に通じる言い方をしたという可能性は高いです。 いずれにしても、とても若い先生でした。