退院書類を手に、3日間で病室に通いなれさせてしまった友人と通訳さんに誘導されながら病棟の外に出た。6時過ぎていたと思う。日没の早い冬のロンドン。日はすでに落ちていて、近隣のムードもわからないが、ロンドンのにおいがした。
 いずれにしても、2日間の天変地異は去った。
 だるいが手足は動く。スープならば食べられる。とにかく、帰ろう。帰って生活を立て直そう。起きてしまったものは仕方がない。イギリス医療の参与観察だ。

 色々不手際が多くたらい回しも多いイギリスの医療に不安はあった。ものすごくあった。日本に緊急帰国して、診断・治療してもらうというオプションは頭に浮かんだ。
 だが、悪くない病室で入院して、仮に手術してもらったとして、薬をもらって帰ってきても無料なのかという点は、やはりNHSってすごいと思った。その、理念と現実――。総選挙の争点のひとつであり続けているNHSというものを、もっとみて見たいという物見遊山気分はとてもあった。そして、私は本当にイギリス生活を楽しんでいて、残り3分の1の滞在を自ら放棄して帰りたくなかった。
 ――きっと大丈夫。手先は不器用だけど、先進国なのだから治療は日本と大きく変わらないはず。ひとまずプロフェッサーの診断を待とう。
 何抹もの不安を抱えながら、そう自分に言い聞かせ、病院の外に出た。


 もう日が暮れ、「治安大丈夫?」と日本人が心配するらしいホワイトチャペルがどういうところか、わからなかった。
 ひげが生えている以外は、顔がやや腫れているくらいでほとんどけが人に見えない私は、よろよろしながら地下鉄でロンドンを横断して帰宅した。

 自宅だ。住み始めて8か月。もう我が家だ。帰ってきた…。とりあえず、友人からいただいたスープ(感謝!)を飲み、ベッドに倒れこんだ。病院と違う、自分のペースの睡眠をとりたかった。


f5-9-1クリスマス


(季節はクリスマス前でした。写真はまったく本件と無関係のサマセットハウス前。)