しばらく待って、若い医師が戻ってくると、間を空けずプロフェッサーが入ってきた。
 挨拶、握手。
 プロフェッサーKは、コンサルタントのミスターC同様、40代半ばくらい。若かった。そして、若干テンションがおかしい人だった。

 口を開けてー閉じてー、歯を見せてー、ともはや儀式のようになった手続きが繰り返された。
 「イッツ・ユー。」 
 一般的な日本の歯医者同様、診察用の椅子の横にディスプレイがついていた。コンピューターと連動しているらしく、そこに前と同じ私のCTの画像が映し出され、プロフェッサーの説明が始まった。


 プロフェッサーの診断は変わらなかった。手術は不要。温存。ただ違ったのは、固定もしないということだった。
そこからのプロフェッサーの説明は混迷を極めた。どうも落ち着きのない人で、医師用の椅子がない診察室の構造もよくないのか、あっちに立ったりこっちに立ったりしながらの説明だった。そして、例が、変だった。
 「この椅子が君の顎だとする。」
 彼は空いている椅子を1つ持ち上げた。
 ――椅子と下顎…。それは比喩として正しいのか…?
 「後ろの足が2本折れた、これが君の顎だ。」
 ――いやだから、下あごの付け根が折れた状態と椅子の足が折れた状態は、天地が逆だからわかりにくいって…。
 「折れたのをつけようとしても、椅子は元には戻らない。ならば、新しい足の長さで慣れようじゃないか。」

 私が「?」となったところは、通訳さんも聞き返したりしていたので、わかりにくさは英語力のせいではなかった。 行きつ戻りつの説明を要約すると、どうも以下だった。
 絶対に手術をしないといけないような、たとえば顎がぶらーんとなっているというような状況ではない。手術をしても元通りにはならない上部が砕けるような折れ方をしているので、メスを入れる必要はない。治るに任せて、その形で新しい関節をつくるしかない。そして、そのためには、固定すると口が開かなくなってしまう可能性があるので、毎日少しずつ口を大きく開けられるようにしながら治癒させろ――。

 椅子の比喩の意味が切実にわかるのは日本に帰ってからなのだが、とにかく完全には元通りにはならないらしいことと、固定という不愉快な状況はなくなるらしいということを理解した。


f6-5-1椅子?
(椅子の足が折れても椅子は立つけれど、座面の角度は変わりますわなあ・・・。)
※「いらすとや」さんからフリー素材拝借しました。