余談的になるが、ここで解けた謎が1つある。ミスターとミセスの謎である(1)。
ロイヤル・ロンドン・ホスピタルで最初に見てくれた女性医師は「ミセス」だった。執刀医になるかもしれない人は、「ミスター」だった。プロフェッサーKも、ときどき「ミスター」と呼ばれていた。実は、秘書に電話したときに「ドクターC」と言ったら、「ミスター」と訂正されたことがあった。ミスターとは果たして。
――こっちでは先生がミスターって呼ばれてるんですけど、あれは何でですか?
唐突な質問に対する日本人医師の回答は明快だった。
「イギリスの外科は、えらくなるとミスターになるんですよ。床屋が外科をかねてた時代の名残で。」
――ああっ!!!
それは感動のアハ体験だった。
外科というのが、ちょっと縫ったり、どうにもならない部位を切り落としたりする時代だったころ、刃物を持つ床屋が外科や歯医者を兼ねていたというのは、漫画的な知識でおぼろげに知っていた。ドイツ語の「マイスター」のような意味の「ミスター」だったのだ。
そこで聞いた話と、わかってみれば検索して日本語でも出てくる話を総合すると、次のようになる。早くから特権的地位が与えられていた内科(physician)に対し、床屋の副業だった外科(surgeon)は、大学で学位と資格を授与される医療専門職ではなく、徒弟修業で継承する職人だった。そのため、ドクターという特権的な呼称は認められず、ミスターだった。時代が変わり、外科も医療専門職となったが(2)、王立外科医協会はその歴史的誇りから、外科専門医には「ミスター」という称号を与えることになっている。
つまり、外科医師は、医師資格をとったときに一度「ドクター」になる。しかし、何年かのジュニアドクター時代を経て、外科の専門医となれた暁には、「ミスター」に戻るのである!
日本人医師は、「日本人は驚くところだから、僕は最初に説明してあげるんですけどね」と言っていたが、考えてみれば、私もドクター(文系)だ。各ギルドのルールなんて、一般人にはどうでもいいことのようにも思えてきた。
(2)
後日、外科医博物館へいきました。標本とか満載なのはスルーしましたが、外科というカテゴリーの確立過程がおもしろかったです。
写真禁止だったので、メモをとってきました。
○床屋が瀉血とか縫合とかをしていたので(床屋のマークは動脈と静脈と包帯ってあれです)、ロンドンでは16世紀にギルドが床屋外科組合に統合され、診療資格付与を担うようになった。早くから大学で養成がされた内科と違い、徒弟制度であった。
○18世紀には解剖(dissectionとあったので、「腑分け」のが近いかも)の講義が必要となり、そのための解剖体の確保の都合がギルドの維持に一役買っていた模様(これに手術室=シアターが関係する)。1745年に床屋から外科組合が分離。
○18、19世紀には大学の学位ではなく、カレッジがディプロマをあげた。そのため、Mrの称号をたもっていた。
○内科との協同や科学的な外科、病理学・衛生学などの要請は20世紀転換期から。19世紀末には外科医も医学学位を持つのが当たり前になり、20世紀には義務になった。
○20世紀半ばには、外科も卒業後の専門医資格試験に統合されたが、今でもMr/Miss/Mrsのタイトルが残っている。
○1950年代に医療の知識が要求されるようになるが、シニアメンバーに見てもらって実践経験から学ぶ方式は踏襲されていた。医療カレッジはあるが、研究では大学外の外科医が未だ重要だった。
○20世紀末 トレーニングが構造化され、養成や研究は大学病院が担うようになった。
※20世紀後半に急激に技術が高度になって、医学の傘に入っていく感じがすごかったです。ロイヤル・ロンドン・ホスピタルが、事実上日本の大学病院的な養成機関の役割を果たしているのは、こういう経緯と関係しているのでしょうか。
一連の謎が解ける過程で、日本は、「蘭学」とか言っていたところから、(西洋)医学という傘の下に各種診療科を配置し、大学で医師を養成する仕組みを開国早々整えたのだという歴史に改めて思いが至りました。イギリスで大学での外科養成が本格化するのが20世紀末というのが驚きです。イギリスは近代化が早く、歴史に断絶がないゆえに、意外と最近までずるずるギルド的なものを引きずっているというのも発見でした。職業組合と高等教育の関係など、ヨーロッパ型の専門職要請の仕組みの一端を見た思いです。
なお、ネイティブに聞くと、「サージョン」と「フィジシャン」という区分は、かなり大きいようです。「サージョン」は直接病気やけがを触って直す人、「フィジシャン」は体が病気を治すのを助ける人、だそうです。内科博物館にも行きましたが、ヘンリー8世に請願してカレッジを開きました!の一言でプロフェッションとその養成態勢の形成問題は終了。そりゃあ外科は歴史を大事にしたくなるわなあ、と思いました。